8月12日の軍縮会議(CD)公式本会議「若者と軍縮」への小笠原大使と佐々木梨央さん(ユース非核特使)の参加

2021/8/12
軍縮会議でスピーチを行う佐々木梨央さん(ユース非核特使)
軍縮会議でステートメントを行う小笠原大使
1.8月12日,国連欧州本部にて軍縮会議公式本会議「若者と軍縮」が開催され,小笠原大使と,広島県の高校3年生でユース非核特使の佐々木梨央さんが参加しました。今回の公式本会議には,国連及び我が国を含む7か国から計13名の若者が参加し,軍縮分野における自らの取り組みや経験につき発表するとともに,軍縮分野における若者の関与のあり方等につき意見を述べました。
 
2.小笠原大使からは,核兵器使用の惨禍やその非人道性を国際社会及び将来の世代に継承していくことが人類に対する日本の責務であると考え,日本政府は,若い世代が,国際の安全保障と軍縮・不拡散を自らの問題として考え,行動することを後押ししていることを説明し,また,「ユース非核特使」の一人であり,広島県の高校生の佐々木梨央(ささきりお)さんに,本日,日本代表団の一員として発言してもらうことを誇りに思う旨述べました(ステートメント英文和文仮訳)。
 
3.続いて,ユース非核特使の佐々木梨央さんが,次のようなスピーチを行いました(英文)。
1945年8月6日。広島に戦争で人類史上初めて原子爆弾が投下されました。その3日後の8月9日には長崎に原爆が投下されたのです。私は被爆地広島で生まれました。私の祖母は被爆者です。祖母は4歳の時爆心地から2.5km離れた自宅で被爆しました。猛烈な熱線と爆風が襲ってきて家は崩壊しました。兄に背負われていた4歳の祖母は奇跡的に命が助かりましたが,その後,父親に連れられ,原爆に焼かれた広島の町を安全な場所を探してさまよったそうです。祖母はその時の恐怖を鮮明に覚えていると,私に語ってくれました。祖母の命は風前の灯火でした。しかし,祖母が生きてくれていたおかげで,今の私が居ます。私は命のありがたさを感じざるを得ません。
この写真をご覧ください。(投下時の原爆ドームの写真)原爆が投下された後の広島の写真です。この場所は広島の中心地であり,多くの人々が生活をしていました。
原子爆弾によって町は全壊し,1945年末までに広島で14万人,長崎では7万人もの尊い命が奪われました。子どもも,私たちのような若者もたくさん亡くなりました。さらに,全ての被爆者が傷つきました。ある者は焼かれ,ある者は体を侵され,ある物はけがを負いました。放射線は76年経った今でも被爆者の体を蝕んでいます。回復することのない身体的,心理的な苦しみは,今でも癒えません。被爆者の一人ひとりには,それぞれの未来がありました。しかし,一発の原子爆弾が未来を奪い,また将来にわたる苦しみを与えることになったのです。
私は,広島に生まれ被爆者を家族に持つ若者です。核兵器を廃絶することに強い責任と使命を感じています。被爆者の願いは「二度と自分たちのような苦しみを繰り返してはならない」と言うことです。核兵器が二度と使われることがあってはなりません。
被爆者の思いを受け継ぎ,核兵器廃絶を世界に訴え続けることは私達の使命です。高校生平和大使は24年間被爆者の声を伝え続けています。核兵器の廃絶と平和な世界の実現を目指して始まった高校生の署名活動も多くの人々の賛同を得て,累計200万筆に達しました。被爆者が高齢化する中,平和のバトンは私たち若者に託されました。
今年は被爆76年。核兵器の廃絶に大きな一歩を踏み出すべき年です。私たち若者には未来に対する責任があります。核兵器の廃絶と平和な世界を目指し活動を続けている私たちの声に世界の皆さんが応えてくださることを信じています。